陸上競技部 >> 北京オリンピックの代表 尾方選手・佐藤選手 インタビュー


尾方選手,佐藤選手インタビュー

 今回は,尾方剛(おがた つよし)選手と佐藤敦之(さとう あつし)選手に,北京オリンピック男子マラソン代表権を獲得した翌日にインタビューしました。

 インタビュー

オリンピック代表権獲得,おめでとうございます。昨日はどんな一日でしたか?
(尾方選手)忙しかったですね。世界選手権と違って報道陣も多かったですし,でもそれだけ反響も大きいのかなと思います。ちょっと疲れましたね。昨晩ですけど,山梨学院大学の上田先生が,鹿児島の帰路,広島に寄ってくださって,うちの家族と一緒に食事をすることができました。先生と会うのは都道府県対抗男子駅伝(1月)以来だったのですが,時間ができたからということでわざわざ寄ってくださったことは嬉しかったですね。
(佐藤選手)家に帰って,妻と一緒に外へ食事に出かけました。妻はお祝いしたいってことで広島に来てたんですよ。景色のいいホテルでゆっくり食事をさせていただきました。

オリンピックということで,今までとの違いはありますか?
(尾方選手)世界選手権とは違って注目度が高いですし,皆さんの興味・関心も高いですから,その分やりがいがありますね。期待されているというのもありますし。その中で勝負できるのは選手として嬉しく思います。
(佐藤選手)自分の中では普通の大会ではあるんですけど,周囲が全然違いますね。2003年パリの世界陸上の時とも取り上げ方が違いますね。陸上以外の競技もあり,4年に一度の大会ですから,盛り上がりが違うのかなと思います。代表が3人ということもあるかもしれませんね。

代表権獲得まで,色々と苦しいこと,大変なことがあったと思いますが,一番の山場,思い出深いことはどのようなことですか?
(尾方選手)アテネオリンピックの選考会,福岡国際マラソン(2003年)で,普通に走っていれば勝てたレースを自分自身でだめにしてしまい,オリンピック代表になれなかったことです。すごく自分が不甲斐ないというか情けないし腹が立つし。自分に悔いが残るレースでしたね。悔いが残るレースというのはほとんどないですが,そのときに限ってはそう思いましたね。
ただ,次にまだ世界陸上などの目標があったので,アテネに出られないと分かった時点で,次の目標へ向かって,そこで見返してやりたいとそんな気持ちで練習に打ち込みました。
(佐藤選手)山はいっぱいあって,谷もいっぱいありました。一番キツかったのは2006年のびわ湖毎日マラソンの途中棄権ですかね。その前年あたりから少しスランプに入って,それがキツかったですね。
途中棄権して,ダメでもいいからとりあえずやろうという気持ちになりました。肩の力が抜けたと思います。それから,2006年の夏か秋だったと思いますが,監督に自分の意見を通せるようになったのも良かったんだと思います。自分の競技だし,自分の信じたことを責任もってやらなければいけないと気付いたのが,一番大きく変わった部分です。あと,結婚も転機だったと思います。

ESSC・職場の皆さまにメッセージをお願いします。
(尾方選手)いつも応援してくださっているので,本当に皆さんの応援が励みになるし,力になります。今回も皆さんの応援を自分の力にして発揮できるように,できればメダルを持って帰れるように,そんな走りを見せたいです。応援よろしくお願いします。
(佐藤選手)いつも応援していただきありがとうございます。すごく自分自身思うところがあるのは,駅伝の応援です。毎年進化しているというか…走っててもすごく分かりますし,応援していただけると力になります。自分もみなさんと同じように進化していきたいと思います。



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