陸上競技部 >> 世界陸上ベルリン大会を終えて 佐藤選手インタビュー


世界陸上選手権ベルリン大会を終えて

 8月22日(日)にドイツで行われた「第12回世界陸上選手権ベルリン大会」男子マラソンに出場し,2時間12分05秒でゴール,見事6位入賞を果たした佐藤 敦之選手。今回は,見事復活を遂げた佐藤選手に,復活までの道のりや当日のレースの様子について聞きました。(インタビュー実施:8/27(木))

 インタビュー

6位入賞おめでとうございます。
佐藤選手 ありがとうございます。目標としていた入賞が達成できて良かったと思っています。

ゴール直後,何か叫んでいましたよね。
 あれは去年の悔しさ,「去年このような走りが出来ていたら違ったのに」という気持ちから出た叫びでした。男子マラソンが弱いと言われるきっかけを作ったのは自分でしたが,それをちゃんと払拭したという気持ち。一年間の鬱憤を晴らした気持ちは「やったー」ではありませんでした。一時の14位から追い上げてぎりぎりでつかんだ入賞でした。

レース展開はどうでしたか,また走っている間は何を考えていましたか。
佐藤選手 15kmを過ぎてから先頭集団に置いていかれたときは,「もっと力があれば,万全の体調であれば追っていたのに」と思いました。ですが,どこかでアフリカ勢がペースアップすることは分かっていたので,そこは対応せずに自分のペースを守って後半勝負をするんだ,と自分に言い聞かせていました。
 周回コースなので何位か教えてくださる観客の方もいましたが,20km,25km,30kmと,変わらず14位だったときには正直,気が滅入りそうになりました。ただ自分のリズムは狂っていなかったので「これ以上落ちることは無い」と自分に言い聞かせていました。すると30kmを過ぎたら前の選手が止まりだしました。一気に見えなかった選手も縮まってきたので,「失速していった選手をどんどん抜いていこう」という気持ちになることができました。
 3,4人くらい抜いたときに,8位のモロッコの選手の赤いユニフォームが見えてきました。しかし,35kmを過ぎても距離が縮まらずにいたので,このまま追いつけないかとも思いました。それでも40kmを超えてわずかに差が縮まってきたので,「残り2kmで何が起こるかわからない」と自分に言い聞かせました。最後の1.5kmの直線ではエチオピアの選手が見えて,ペースががくんと落ちていると分かったので,「この選手は抜ける」と思ったら元気が出てきました。エチオピアの選手を抜いたら,次はモロッコの選手も近づいてきて,残り1kmを切ってから一気に抜くことが出来,入賞できました。
 諦めないで勝負してよかったと思いました。こんな感覚は初めてでした。マラソンは諦めないことが大切だと実感しました。
 去年の北京は最悪の状態で臨んで最下位でしたが,諦めないで完走したことが今回の入賞につながりました。北京の屈辱も無駄ではなかったと思います。
 レース後,坂口監督に挨拶に行ったときに,監督にハグを求められました。抱き合って喜ぶということはこれまでで初めてだったので驚きましたが,監督の気持ちが伝わってきました。

北京オリンピックからの1年間を振返っていかがですか。
佐藤選手 去年の今頃はこの先どうすればいいのか分からない状態でした。走ることに対して全く意欲がわかず,身体も全く動きませんでした。先輩たちに飲みに連れていってもらって心の整理をしたりしていました。
 元旦のニューイヤー駅伝(第53回全日本実業団対抗駅伝競走大会)は転機になりました。全然練習ができずに万全の調子ではありませんでしたが,最初に突っ込むことができました。最後には失速しましたが,逃げずに自分のできることをしたと思っています。結果としていつも勝てていた選手に負けるなど,悔しい思いをしましたが,それが嫌だと思うことができました。周りにも「お前が頑張らないと男子マラソンは終わりだ」,「戦えるのはお前だけだ」と言ってもらい,日本男子マラソン界を引っ張っていかなければならないという自覚が芽生えました。男子マラソンが弱いというレッテルを張られるのが嫌なので,それを払拭するには走るしかない,結果で示すしかないという気持ちで再スタートをすることができました。
 北京オリンピックの前と同じ練習方法や考え方では嫌なことを思い出してしまうので,試合に数多く出場するなど出来るだけ当時のやり方とかぶらないように,悪いイメージを思い出さないように意識しました。体調を崩して休んでいたので,最初はやはり体力はないだろうと,自分のできることをこつこつと繰り返し練習することに重点を置きました。「背伸びをせずやっていこう」という気持ちで,前半は練習していました。すると,思いのほか調子が戻ってきて,走る楽しさ,勝負する楽しさを思い出しました。

この1年間で支えとなったものはなんですか。
 妻の存在は大きな支えでした。北京以降の私の様子にも怒りもせず,「調子が悪いときは練習もいいから,帰ってきていいから。無理しなくていいから」と。なかなか言えないことだと思いました。
 昨日日本へ帰ってきたばかりなので,まだ妻とお祝いも出来ていませんが,これから二人でのんびりしたいと思います。

これからの目標は。
 ロンドン五輪マラソンでもう一度勝負したい。できることをやっていきたい。そう思います。
 背伸びしないでやっていくことが自分には一番大事だと思います。結果が出ると欲が出ます。それは大事なことですが,自分は欲張らずできることを確実にやっていくことが必要なのだと思いました。
 今回はできることを確実にやっていき,入賞できたので,いい指標になりました。しかしもっと上を目指すなら,運を手繰り寄せる走り,集団がばらけたときに入りこむという走りをしなければいけない。それは今後,トレーニングを積んでから判断していきたいと思います。そこまでいかない段階ではどういう走りをしたらいいのか,そういうコントロールが今回できました。この数ヶ月でコントロールができるようになったのは大きな収穫でした。
 マラソンにおいては,コントロールが一番大事だと思います。結局は自分でどのように走るか,軸がぶれないようにしなければいけない。自分をコントロールして爆発的な力を出せるようになれば勝負できると思います。それまでは背伸びをせず確実に練習を積んでいきたいです。
 また,海外のレースにも積極的に出たいです。海外ではレースの状況,練習方法が日本とは違い,刺激になりますが,陸上以外の人々,文化の違いに触れることも刺激になります。

ESSCの会員の皆さまにメッセージをお願いします。
 現地での応援,日本での応援,会社での応援,ありがとうございました。ベルリンでは青いTシャツと横断幕が目立って,とても励みになりました。周回コース2箇所に分かれての応援も力になりました。Tシャツの言葉には「激走」を選んだんですが,そのとおりの走りができてよかったです。レース後に皆さんから嬉しかったとか,今みんなで祝勝会をしているとか,盛り上がったという声を聞けたのが嬉しかったです。会員の方々と喜びを分かち合えたのが嬉しかったです。




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