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新入部員インタビュー(藤川拓也選手,松井智靖選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2015年5月12日

 今回は,2015年4月に中国電力に入社し,陸上競技部に入部した藤川拓也(ふじかわ たくや)選手と,松井智靖(まつい ともやす)選手にインタビューしましたので,ご紹介します。

Q:陸上競技との出会いを教えてください。

(藤川選手)
 小学3年生の時に,校長先生から「マラソン大会に出てみないか」と言われて出てみたら,結構成績が良かったので,そこから何度か大会に出るようになったのが陸上を始めたきっかけです。本格的に部活を始めたのは中学校に入ってからです。

(松井選手)
 藤川選手と似ていますが,小学生の高学年くらいの時に庄原市で年に一度か二度,記録会やロードレースがあって, それに参加して結構上位で走れたので,中学校に入ってから本格的に陸上をやろうと思いました。

 

Q:これまでに印象に残っている大会があれば教えてください。

藤川選手インタビュー.jpg藤川選手

(藤川選手)
 やっぱり今年の箱根駅伝が優勝もしたので,一番印象に残っています。箱根で初めて区間賞も取れて,これ以上ない卒業となりました。
 箱根以外では,昨年11月の「10000m記録挑戦競技会」が,自分の中ではベストレースになるのかなと思います。この記録会は,自分が以前に出したベスト記録を青山学院の選手が塗り替えたあとに,もう一度自分が取り返したレースでもあるので,自分の中では
印象に残っています。

 

(松井選手)
 大学2年生の時の箱根駅伝が印象に残っています。復路の9区を任せてもらったんですが,脱水症状になってしまい,何とかタスキはつなぎましたが,大幅に順位を下げてしまいました。チームのみんなや応援してくださった皆さんに対して,申し訳ないという気持ちがすごくあって,それ以降,チームに恩返しをしたい一心で,残りの大学3年・4年,頑張ってきました。
 箱根以外で印象に残っている大会は,中学3年生の時の「織田幹雄記念国際陸上」3000mです。中学2年生の時に出会った先生に,すごく厳しく指導してもらったことが,本気で練習するきっかけになりました。この大会で自己記録を大幅に更新し,あらためて陸上って楽しいなと思えるようになりました。この先生に出会っていなかったら,自分は今ここにいなかったと言っても過言ではないと思っています。

 

Q:数ある実業団チームがある中で,中国電力に入社した理由を聞かせてください。

(藤川選手)
 中学生の時に,尾方剛さんや佐藤敦之さんが活躍されているのを見て,中国電力に入りたいなぁと思い,一度もほかのチームに入りたいと思わなかったので,夢がかなったという感じです。

(松井選手)
 小学生高学年か中学生の頃に,世界陸上のマラソンに中国電力から3選手が出場されるのをテレビで見ていて,憧れの念がすごく強く,それからずっと中国電力に入りたい気持ちで今まできました。

 

Q:中国電力の陸上競技部での練習はいかがですか。

(藤川選手)
 大学時代と一番変わったことは,練習メニューが決められていないので,自分次第というところもあり,これまで以上にしっかり考えてやっていかないといけないなと実感しています。

(松井選手)
 大学時代に中国電力の合宿を一緒に経験させていただいたことはありますが,一から十まで指示されるわけではないので,自分を律するというか,自分で考えて行動していかなければいけないなと感じています。

 

Q:お二人にとって,陸上とは何でしょう。

(藤川選手)
 普通すぎるというか,人生ですかね。中学生の頃から,陸上で生きていくしかないなと思っていたので,自分の生きる上での一部という感じです。

(松井選手)
 ちょっと的外れの答えになってしまうかもしれませんが,一人の人間として成長すれば,競技者としても成長できるし,競技者として成長すれば,人間としても成長できるのかなと思っています。

 

松井選手インタビュー.jpg松井選手

Q:これからの目標を教えてください。

(藤川選手)
 一番大きな目標は,27歳の時に東京オリンピックがあるので,そこでマラソンを走りたいです。それと,ニューイヤー駅伝で中国電力チームの優勝をテレビで見ているので,自分の力をプラスにして,引退までにチームを優勝に導きたいです。

  

(松井選手)
 トラックでの記録を持っていないので,まずはトラックレースの3000mと10000mで自己ベストを更新したいです。そして,早いうちにマラソンにも挑戦したいですし,ニューイヤー駅伝でも優勝したいです。

 

 

 

 

 

Q:自分の走りの持ち味,ここを見てほしい!というポイントを教えてください。

(藤川選手)
 トラックレースでは先頭の方でスタートすることが多く,積極的に引っ張っていくタイプだと思います。周りからフォームが綺麗だといわれるので,そこを見てほしいです。

(松井選手)
 トラックレースよりもロードレースの方が,より力を発揮できること,そして粘り強さが自分の長所だと思っています。

 

Q:休日はどんなふうに過ごしますか。

(藤川選手)
 寮では初めての一人部屋なので,自由に気楽に過ごしています。何もない時はソファでゴロゴロしたり,昔から車が好きなので,今は親の車を借りてドライブに行ったりしています。

(松井選手)
 映画が好きなので,広島市内の映画館によく行っています。シネコンではないミニシアター系が好きです。洋服も好きなので買い物にもよく行きますし,音楽を聴くことも好きなのでCDもよく買っています。

 

Q:地元広島に帰って来られましたが,好きな場所・好きなものなどがあれば教えてください。

(藤川選手)
 昔から人混みと都会が苦手なので,実家のある庄原市に帰ると落ち着きます。今はもう慣れましたが,東京から広島に帰ってきたばかりのときは,広島弁を聞くと安心しました。

(松井選手)
 お好み焼きがやっぱり好きで,最近すごくお好み焼き欲が強いんです。先週金曜日のお昼に食べて,日曜日はお昼も夜も食べました。

 

Q:「エネルギア・スポーツサポートクラブ」の皆さんへ一言お願いします。

(藤川選手)
 中国電力の一員という自覚を持ちながら,中国電力の名を背負っていることに恥じない結果を求めてやっていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

(松井選手)
 昔から憧れてきたチームに所属できて誇りに思います。チームの名に泥を塗らないよう,精進していきたいと思いますので,応援よろしくお願いします。

以 上

   

藤川選手ユニフォーム姿.jpg

藤川拓也(ふじかわ たくや)選手
出身地 広島県庄原市
年 齢 22歳
身長・体重 163cm・49kg
出身校

 

 広島県立世羅高等学校

→ 青山学院大学

 

  

 松井選手ユニフォーム姿.jpg 

松井智靖(まつい ともやす)選手
出身地 広島県庄原市
年 齢 22歳
身長・体重 166cm・50kg
出身校

 

広島県立世羅高等学校

→ 明治大学

 

 

 

第25回インタビュー(兼実省伍選手・出岐雄大選手・中原大選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2013年5月15日

今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した,兼実 省伍(カネザネショウゴ)選手・出岐 雄大(デキ タケヒロ)選手・中原 大 (ナカハラ ダイ)選手にインタビューしました。

Q--陸上競技との出会いを教えてください。           

(兼実選手)中学校で陸上部に入りました。3歳上の兄が中学校で陸上をしていて駅伝の応援に行った時に自分も走りたいと思いました。姉も陸上をやっていて,自然と陸上をすることになった感じです。

(出岐選手)小学校では野球,中学校ではサッカーをしていました。中学では練習でよく走らされていて,駅伝大会にも出場していました。高校でもサッカー部に入ったのですが,目標が見えなくなって新しいことにチャレンジしたくなり,陸上部の先生から誘われて入部しました。

(中原選手)小学生のときは野球をやっていたのですが,もともと長距離を走るのが好きで,町内マラソン等で好成績を収めていました。その後,中学生になり,兄と姉が陸上部だった影響もあり,陸上を始めました。

 

  兼実-1.jpg
   兼実 省俉選手

 

出岐-1.jpg

 Q--これまで印象に残っている大会を教えてください。

(兼実選手)大学2年生のときの箱根駅伝です。大学の4年間で一度は走ってみたいと思っていました。1年生のときは予選通過できませんでしたが,2年生で初めて予選を通過しました。箱根では1区を走り,チームはシード権を獲得しました。スタート地点の応援はすごかったですが,意外と冷静に楽しむことができました。とにかく2区の選手にたすきを渡すことだけ考えて走りました。たすきをつなぐすばらしさを感じました。

(出岐選手)大学4年生のときの出雲駅伝での優勝です。大学の三大駅伝のひとつで優勝できたこと,個人よりチームで勝ったことがうれしかったですね。入学したときは優勝できるようなチームではなかったので。駅伝は関係者も含めてチーム全員で喜べます。個人とは全く別物の喜びでした。

(中原選手)ここ最近では,箱根駅伝です。2010年,2012年,2013年と3回出場しましたが,大学4年生で出場した今年の大会がやはり一番印象に残っています。1区を走ったのですが,この区間は集団でスタートし,他の選手と駆け引きする醍醐味もあって,個人的に好きな区間です。あと,少し古い話ですが,高校1年生の2006年に全国高校駅伝でアンカーとして出場し,先輩方がつないできたたすきをトップで受け,無事にゴールテープを切れたことも思い出に残っています。

 出岐 雄大選手  

Q--数ある実業団チームのうち,中国電力に決めた理由を教えてください。

(兼実選手)中国電力は,地元の強いチームという印象で憧れの実業団チームでした。実業団を意識したのは箱根を走ってからです。レベルの高いチーム,しかも地元で陸上を続けられることは幸せで,どこまで自分の力が通用するのか試してみたいと思いました。

(出岐選手)中国電力はマラソンが強いというイメージです。大学の監督(原監督)が中国電力OBだったことや先輩の米澤選手がいることも大きかったですが,マラソンで活躍したいと考えているので,実績のある中国電力がベストな環境だと考えました。出雲駅伝で優勝したことでも中国地方と縁を感じましたし,この縁を大切に頑張っていきたいと思いました。

(中原選手)私は出身が広島の呉なのですが,地元で昔から強い実業団で自分の力を伸ばしていきたいと考え,中国電力に入社しました。

  中原-1.jpg
  中原 大選手

Q--中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。
(兼実選手)大学とは練習メニューが全く違うので戸惑いました。大学のときは走り込む練習が中心でしたが,トラック,スピード練習が多くてきついです。練習量も大学時代の合宿と同じ量をこなすのが当たり前です。徐々に慣れてきましたが,まだまだついていくのが精一杯です。
(出岐選手)一番の違いは責任だと思います。大学時代から自分で考えながら練習するように言われてきましたが,自己管理が大切だと感じています。先輩方を見ているとメリハリがついていて,自分も仕事と陸上の両立をしなければいけないし,仕事として走る意識が大切だと思っています。
(中原選手)先輩方も優しく,とけ込みやすい雰囲気です。ただ,大学のときと比べ,練習内容の質の高さを感じています。また,仕事と両立していくことが必要なため,一日の生活リズムをつかむのに最初苦労しました。

Q--あなたにとって陸上とは?
(兼実選手)自分自身を奮い立たせてくれるものです。陸上をやっていなかったら,これほどひとつのことに一生懸命になれていなかったと思います。負けず嫌いなのでしょうが,目標に向かって頑張ることができます。本当に陸上をやっていてよかったと思っています。
(出岐選手)陸上を通じて人間としての土台を築くことができると思います。これまでも,自分に負けないようにやることが将来につながると思ってやってきました。選手のうちにしっかりと意識を持って頑張ることで,引退してからも仕事・生活に生かせると思っています。
(中原選手)中学生のころからずっとやってきているので,今では,生活の一部になっています。走る生活が当たり前といった感じです。きつい時もありますが,よい結果が出たときの喜びはひとしおです。
 

Q--これからの目標をお願いします。
(兼実選手)まずはトラックで自己ベストを出したいです。将来はマラソンをやりたいと思っています。今はオリンピックに行きたいと言えるレベルではないですが,それに近づけるよう結果を残していきたいと思います。ニューイヤー駅伝も走りたいです。
(出岐選手)昨年(大学4年生時)は調子が悪かったので,まずは自分の走りを取り戻したいと思います。1~2年かけてマラソンができる身体を作って,3年後のオリンピックに出場できるように頑張ります。
(中原選手)まずは,5,000mの自己ベスト13分47秒89を更新することです。それから,マラソンにも挑戦してみたいです。自分らしい走りができればと思っています。また,将来的には,ニューイヤー駅伝にも出場できるよう頑張ります。

Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
(兼実選手)会社を活気づけられるよう頑張りますので,応援よろしくお願いします。
(出岐選手)少しでも中国電力をアピールできるように走りますので,応援よろしくお願いします。
(中原選手)結果を出して,会社に貢献できるように頑張ります。応援よろしくお願いします。

兼実-3.jpg 出岐-3.jpg 中原-3.jpg
兼実 省俉選手 出岐 雄大選手 中原 大選手

第24回 インタビュー(刀祢健太郎選手,山崎亮平選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年4月25日

 今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した,刀祢健太郎(とね けんたろう)選手と,山崎 亮平(やまさき りょうへい)選手にインタビューしました。

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(刀祢選手)
 小学5年生の頃から陸上を始めました。当時は短距離も走っていました。小学6年生のとき織田幹雄記念国際陸上に出場したのですが,そのときゲストで来られていた高橋尚子選手の話しを聞いて,長距離にあこがれ,長距離を始めました。

(山崎選手)
 小中学生の頃は,サッカーをしていました。中学3年の夏,駅伝出場に誘われ,長距離の練習を始め,そのときの先生に陸上をやってみないかと薦められたことをきっかけに,高校から陸上を始めました。

山崎選手①.JPG
山崎選手
刀祢選手①.JPG
刀祢選手

(刀祢選手)
 高校3年生のときに出場した,秋田国体5,000m。日本人2位で総合4位の成績を残せたことが,自分にとっての転機であったと思います。大学では箱根駅伝に4年連続出場することができました。その中でも,1年のとき,当社陸上競技部で大学の先輩でもある藤原選手にたすきを渡すことができたことや,4年のとき,チームに大きく貢献し,一番仲が良かった同期の仲間にたすきを渡すことができたことがうれしく思い出に残っています。

(山崎選手)
 高校3年生のときに出場した,中国高校陸上5,000mで優勝したことです。また大学2年のときの東京六大学陸上1,500mでかなりいいタイムを出せたことが印象に残っています。

 

 

Q--数ある実業団チームのうち,中国電力に決めた理由を教えてください。

(刀祢選手)
 中国電力陸上競技部が山口駅伝で活躍している姿を見ていましたし,将来的にはマラソンでオリンピックに出場したいという思いから,マラソンオリンピック選手を輩出している中国電力で自分の力を伸ばしたいと決意しました。

(山崎選手)
 高校の先輩でもあり尊敬している,岡本選手,田子選手,森本選手と一緒に走りたいという思いを持っていました。また,先輩達のように活躍したいという思いから,中国電力に決めました。 

Q--中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(刀祢選手)
 セット練習,練習で走る一回あたりの距離,それから合宿と,どれも学生の頃より多いと感じています。強い先輩方と一緒にいることで,密度の濃い練習ができています。

(山崎選手)
 大学の頃と比べて,質・量ともにかなり増えています。そのため,自己管理をしっかり行っていかなければいけないと感じています。練習内容についても自分で考え,調整しながら行うようになりました。

Q--あなたにとって陸上とは?

(刀祢選手)
 小学生の頃から陸上をしていますので,生活の一部であり,切り離せない存在になっています。いつかは引退するときがやって来ますが,走ることが好きなので,走ることはやめないと思います。

(山崎選手)
 まじめに練習しなければ,結果が出ない。記録を縮められないと,満足できない。苦しい練習を積んで,試合で目標を達成したときには,大きな達成感があります。この達成感を得るため陸上競技を続けています。

Q--これからの目標をお願いします。

(刀祢選手)
 早く新しい環境に慣れ,先輩たちとより濃い練習をしていけるようになりたいというのが,身近な目標です。そして,ニューイヤー駅伝に出場し,山崎選手にたすきをつなぎたいですね。それと同時に自分の夢であるオリンピック出場に向けて頑張っていきたいと思います。

(山崎選手)
 「ニューイヤー駅伝を走る」ということを目標に頑張っていきたいと思います。先輩たちの練習に喰らいついていき,結果を残せる選手になれるよう頑張ります。

Q--
ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

(刀祢選手)
 走らせていただけることに感謝しています。結果を残すことで,貢献していきたいです。

(山崎選手)
 応援していただけることに感謝し,結果でお返しできるよう頑張ります。

 刀祢選手②.JPG
刀祢選手
山崎選手②.JPG
山崎選手

第23回インタビュー(尾方剛選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年3月16日

今回は,1月31日で陸上競技部を引退した,尾方剛選手に16年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

Q-- 16年間を振り返って,今の気持ちをお聞かせください。
 良くここまでやって来れたな,という気持ちです。
 入社した頃の中国電力陸上競技部はこれから強くなろうというチームでした。しかし,即戦力として期待されていたにもかかわらず,故障して入社したため,その期待にも応えられず,チームの皆にも迷惑をかけ,精神的にもつらい日々を過ごしました。そのような状態でしたから,ここまで続けられるとは思ってもいませんでした。

Q-- 一番印象に残っている大会は?
 自分の思うような結果ではなかったのですが,やはり北京オリンピックが最高の大会ですね。4年に一度しかない大会ですし,なかなか出場できる大会でもありません。また,すべてのスポーツ選手が集まってその頂点を極める大会なので,マスコミの対応も違いました。自分としては,世界選手権の延長だと思って臨んでいたのですが,やはりマスコミとか周りの人は「さもすごいことをやっている」かのような対応をされました。世界選手権でもすごいと思ってくれる人もいるのですが,オリンピックと聞くと,陸上に興味がない人でも「すごいね」と言ってくれる。他の大会とは違う盛り上がりを感じました。

 オリンピックを意識し始めたのは,アテネオリンピック(2004年)の選考会の頃からです。自分も行けると信じて打ち込みましたが,落選しました。その時から,4年間で実績を残しオリンピックで勝負するという気持ちで,アテネオリンピック以降は取り組んできました。
 駅伝で印象に残っている大会は,2004年のニューイヤー駅伝。中国電力が初優勝した年です。3区を任されましたが,当時3区は外国人区間で日本人にとっては不利な区間。でもここでしっかり走っておかないと,チームが優勝争いに加われないので,やりがいを感じて望みました。そして優勝を狙えるチームでしたので「自分の力どおりに走れば,あとは皆がなんとかしてくれる」,そう信じて走りました。本当に優勝することができてうれしかったです。

尾方1.jpg
尾方2.jpg Q-- 尾方選手はきれいなランニングフォームという印象があるのですが,フォームについて教えてください。

 世界で戦うために,どうしたら楽に走ることができるか,ということを考えていました。例えば,ケニア人選手はジョギングをしているかのように楽に走っているように見えます。やはりこういう感覚で走らないと,世界でメダルを狙うのは難しい。ケニア人選手と比べると日本人は素質も身体能力も劣るわけですから,それをどう克服していくか。こんなことを考えていました。そのためにも,楽に走る感覚が欲しかったのです。
 具体的には,いかにスムーズに足を前に出すか,いかに動作を簡単にするかということになります。これを意識しながら練習したり,自分がうまく使えていない筋肉などを使えるように体操したりしていました。大学の頃からお世話になっているトレーナーと相談しながら,フォームを作り上げていきました。ブレや無駄のないフォームが理想だと思います。「動く歩道」で進むかのような感覚です。足がスムーズに前に出る,流れるような走り,それが自然にできる。それに近づけるようなフォームを模索しながらやってきたつもりです。

Q-- 多くのマラソン大会に出場されていますが,大会前はどのような心境でしたか。
 本格的な練習は大会の3カ月前から始めますが,この3カ月は本当にきつかったです。多いときには月に1,380kmくらい走っていました。楽しみといえば食べることくらい。メンタルな面では,自分はスロースターターで,大会に向け少しずつテンションを高めていくという感じでした。もう少し早めに上がっていてもよかったのかもしれません。魂を燃やすようなテンションの上げ方ができればよかったのですが,これについては,うまくできたことも,できなかったこともありました。それでも2週間前くらいになると「やらなくてはいけない!」とストイックな心境にはなっていました。

 

 

Q-- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
 長い間,応援してくださった方々に感謝しています。皆さまの応援に後押しされ,最後まであきらめず全力で走りきることができました。ありがとうございました。

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尾方3.JPG
 

第22回インタビュー(油谷繁選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年1月 5日

 今回は,昨年12月18日の防府読売マラソンでラストランを終えた油谷繁選手に,17年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

Q -- 引退レースを終えた今の気持ちをお聞かせください。
引退レースだったので,もっと元気な姿で走りたかったですね。足の痛みがひかなくて途中棄権という残念な結果になってしまいました。多くの方が引退レースであることを知っておられたようで,沿道からたくさんの温かい声援をいただきました。自分でもできればやめたくはなかったのですが,足の痛みも限界となり,このような結果となってしまいました。
このレースで選手としての第一線を退くこととなりましたが,次の日からはコーチとして新たな気持ちで進み始めたところです。

油谷インタビュー1.JPGのサムネール画像
油谷インタビュー2.JPG

Q -- 最も印象に残っている大会は?
 やはり,アテネオリンピックですね。一番大きな大会で入賞できたといううれしさと,メダルが取れなかったという残念さがありますね。
 初マラソンは自分にとっては,いまひとつな成績だったのですが,2回目(2001年3月 びわ湖毎日マラソン)で,7分台で走って世界陸上代表(2001年8月 エドモントン)に選ばれ,マラソンならば日本一にもなれるし,世界一も夢ではないと思うようになりました。
 その世界陸上で5位となったことで,この夢は現実的な目標に変わり,狙って臨んだオリンピックでした。

Q -- 陸上選手で良かったと思ったことは?
 中国電力に入社し,多くの優秀な選手たちと競い合うことで大きく成長することができました。そして,世界陸上,オリンピックで入賞,ニューイヤー駅伝では優勝もでき,全国を舞台に活躍できたことで,いろんな方との出会いがあり,またメディア等にも取り上げていただき,とても貴重な経験ができました。

Q -- 油谷選手にとって走ることの魅力は?
 陸上競技は,「誰よりも速く,誰よりも高く,誰よりも遠く」ということを目標としているだけなのですが,これを達成するためにはより多くの練習を必要とします。単純ですが,結果を出すという点では難しい競技であると思います。マラソンは特に練習しないと走れない競技で,本番の3ヶ月前から本格的に練習するのですが,それだけの練習はこの1日のためだけのものです。大変で苦しいことではありますが,結果が出るので達成感を得ることができます。
 私の場合,トラックレースで結果を出すのは厳しいと思っていたのですが,マラソンであれば日本だけでなく世界も狙えると感じ,マラソンで勝負したいと思うことができました。高校卒業後から基礎となる練習を積み,その土台があったからこそ,うまくマラソンにつながっていったのだと思います。
油谷インタビュー3.JPG

Q -- コーチとしての今後の抱負をお聞かせください。
 中国電力は駅伝をやりながらマラソンでも強くなったチームなので,マラソンでも活躍できる選手を育成していきたいです。世界に出て行ける選手が出てきてほしいと思います。また,チーム力もより強化して,駅伝でも優勝したいですね。
 自分がやってきたことをそのまま教えても,必ずしも強くなるとは限らないと思います。選手によって個性やタイプがあるので,いかにその選手に合わせて指導できるかが大切だと思います。同じ練習量であれば同じ結果がでるというわけではないので,選手にあった練習ができるように指導し,結果を残せるようにしたいです。
 選手として17年間やってきたことや,世界陸上,オリンピックの経験もあるので,この経験をいい形で伝えることができたらと思います。練習に困ったときなど,うまく導いてあげることができればと思っています。

Q -- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
 いつもたくさんの応援をいただきありがとうございました。これからはコーチとして皆さんの期待にお応えできるような結果を残したいと思います。しっかり結果を残すことで,一緒に盛り上がれたらと思います。
  油谷インタビュー4.JPG

 

第21回インタビュー(新井広憲選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月22日

今回は,「第50回中国実業団陸上」の5月7日開催5,000mの部で優勝,5月14日開催10,000mの部で日本人最高の2位に入賞した,新井広憲(あらい ひろのり)選手にインタビューしました。

Q--中国事業団陸上 5,000mの部での優勝,10,000mの部での日本人最高の2位入賞おめでとうございます。今の気持ちをお聞かせください。

 入社して10年目ですが,試合での優勝は一度もなかったので,素直にうれしいです。
 10年目で5,000m,10,000mともにこういった結果を出せたことを本当にうれしく思っています。

 Q--どんな気持ちで大会に臨まれましたか?

 
5,000mでは,直前の練習もあまりうまく行ってなかったのですが,中国実業団陸上というのは,中国電力陸上競技部としても狙っていく試合なので,少しでも上の順位で走りきりたいと思いながら,練習を重ねてきました。
 10,000mのときは,一週間前に5,000mをいい結果で走れ,調子が上向きになっていると感じていたので,前向きに挑戦することができました。

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              5月7日 (5,000m)

Q--走っている時,どのようなことを考えていましたか?

 5,000mでは,最初は思ったように体が動かなくて,序盤,中盤とかなりきつく,離れそうになりながらも,自分の力を出し切りたいという気持ちで走っていました。残り1,000mあたりで前を行く選手が,きつそうな素振りをしているように感じました。この時点では4番手くらいだったのですが,もしかしたら可能性があるのではないかと思い,頑張って追い上げてみたところ,残り600m付近でトップに追いつくことができました。ここで様子を見ようという思いもあったのですが,今回はこのまま勝負をかけました。勢いもついていたので,「いける時にいっておこう。ダメなら仕方ない。」という気持ちで走りました。

早めに勝負をかけてよかったです。

10,000mでは,5,000mくらいまで外国人選手のペースに合わせて走りました。しかしこのあたりからペースが落ちてきたので,思い切って前に出ました。9,000mで1人の選手に抜き返され,そのままゴール。このレースでは負けてしまいましたが,後半のきついときに前に出て走れたことに,今後につながる手ごたえを感じました。
 冬場からトレーニングを重ねてきていたので,最初は体が重かったのかもしれませんが,後半に延びてきたのは,体ができていたのだと思います。

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             5月14日 (10,000m)

Q--走ることの魅力について教えてください。

 
正直なところ,楽しいことはほとんどないのですが,つらい練習をしてきて,それを試合で結果として出せたときに,達成感を感じることができます。成果が出そうな練習ほど,きつくてやりたくない練習です。しかし,そういうことを試合に向けて計画し,過程として受け止めて実行し,その成果を試合という場で発揮し,結果が出たときうれしいですね。なんともいえない達成感を感じます。これはスポーツ全般に言えることかもしれませんが,ここに魅力を感じますね。

 駅伝では,チームメートで団結してひとつの結果を出し,喜びを分かち合うということに,マラソンとかトラックレースとは違う達成感や喜びを感じますね。

Q--今後の目標を聞かせてください。

 
トラック種目で結果を出すというのも大きな目標ではありますが,マラソンについては,入社してまだ2回しか走ったことがなく,マラソンで自己ベストを更新し,2時間10分を目標に頑張りたいです。まだあまりマラソンの経験もないのですが,この2時間10分を切ることで,また何か新しいものが見えてくるのではないかと思っています。まずはここを目指して頑張っていきたいです。

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Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

 いつも応援ありがとうございます。
 試合会場で声をかけていただいたり,沿道からの声援を受けるたびに,多くの方に支えられて競技をしていることを実感します。
 ESSC会員,職場の皆さまに盛り上がっていただけるような結果を残せるよう,頑張って行きたいと思いますので,応援よろしくお願いします。 

第20回インタビュー(池淵智紀選手,清谷匠選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月22日

 今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した,池淵智紀(いけぶち とものり)選手と,清谷 匠(きよたに たくみ)選手にインタビューしました。

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(池淵選手)
小学校では,市内の陸上大会の予選会で最後の10m位のところで抜かれてしまい,本選に出場できず悔しかったことを覚えています。中学校では,テニス部か陸上部かと入部を悩んだのですが,その予選会の悔しさから陸上競技に進みました。中学校では三種B(400m,走り幅跳び,砲丸投げ)という競技をやっていたのですが,それからリレー,1,500mにチャレンジしたところ,思っていた以上の成績をあげることができました。また,周りに長距離選手もいなかったことから,長距離もはじめました。

(清谷選手)
 小学校は野球をしていました。中学校で野球部に入りつつ,途中から陸上部にも席をおきました。3年生のとき,県駅伝の予選会に出場したのですが,負けてしまいとても悔しい思いをしました。陸上については,それまではあまり本気にやっていなかったのですが,この悔しさから高校に入って本格的にはじめました。

1_池淵・清谷.jpgのサムネール画像
                      左:池淵選手 右:清谷選手

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(池淵選手)
 小学校では,市内の陸上大会の予選会で最後の10m位のところで抜かれてしまい,本選に出場できず悔しかったことを覚えています。中学校では,テニス部か陸上部かと入部を悩んだのですが,その予選会の悔しさから陸上競技に進みました。中学校では三種B(400m,走り幅跳び,砲丸投げ)という競技をやっていたのですが,それからリレー,1,500mにチャレンジしたところ,思っていた以上の成績をあげることができました。また,周りに長距離選手もいなかったことから,長距離もはじめました。

(清谷選手)
 小学校は野球をしていました。中学校で野球部に入りつつ,途中から陸上部にも席をおきました。3年生のとき,県駅伝の予選会に出場したのですが,負けてしまいとても悔しい思いをしました。陸上については,それまではあまり本気にやっていなかったのですが,この悔しさから高校に入って本格的にはじめました。

2_清谷.jpgのサムネール画像
                    清谷選手

Q--これまで印象に残っている大会を教えてください。

(池淵選手)
 いくつかありますが,中学校のころは,全国中学校陸上競技選手権大会に0.01秒差で出場できなかったことです。高校では,都大路の全国高校駅伝に3回も出させてもらったこと。大学では,箱根駅伝の本戦に出場できたことです。中でも,箱根駅伝を走れたことが一番印象に残っています。

(清谷選手)
 全国高校駅伝で優勝したことです。区間賞を取れたことも大きかったです。箱根駅伝については,予選会で2回負けているのですが,それがとても悔しかったです。特に4年生のときはキャプテンをしていて,チーム状況も良く,絶対に出ることができると思っていたのですが,負けてしまったという悔しさが思い出として残っています。

Q--数ある実業団チームのうち,中国電力に決めた理由を教えてください。

(池淵選手)
 レベルの差を感じてとても悩んだのですが,「やってみないか?」と声をかけてもらいました。高校時代から知っている先輩も多く,その先輩たちが実業団で伸びている姿を見て,こんな私でもより速くなれるのではないかということに魅力を感じ,決意しました。

(清谷選手)
 地元ですし,高校時代から中国電力の選手たちと合宿し,監督と話をする機会があったことから,当時から中国電力というのは頭の中にありました。大学では結果を残せていないので,実業団に進むことを迷っていました。一般就職も考えていたところ声をかけてもらい,以前から志望していたことから迷わず決めました。

Q--入社して1ヶ月。中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(池淵選手)
 大学のころは,1週間のスケジュールが決まっていて,毎日決まった練習を繰り返していました。ところが,中国電力陸上競技部は,練習メニューが決まっていない。自己管理を含めて,自分で考えて練習するというスタイルに,まだ戸惑いがありますが,先輩を見習いながら頑張ろうと思っています。

(清谷選手)
 合宿が多いという印象があります。私も練習メニューが決まっているものだと思っていたのですが,合宿と合宿の間を自分で考えて練習するという流れには驚きました。ただ,私の場合,高校,大学ともに練習は自由にやらせてもらっていたので,自分にあっていると思います。また,強い先輩も多数在籍しており,いい環境であると思います。

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                    池淵選手

Q--入社して1ヶ月。中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(池淵選手)
 大学のころは,1週間のスケジュールが決まっていて,毎日決まった練習を繰り返していました。ところが,中国電力陸上競技部は,練習メニューが決まっていない。自己管理を含めて,自分で考えて練習するというスタイルに,まだ戸惑いがありますが,先輩を見習いながら頑張ろうと思っています。

(清谷選手)
 合宿が多いという印象があります。私も練習メニューが決まっているものだと思っていたのですが,合宿と合宿の間を自分で考えて練習するという流れには驚きました。ただ,私の場合,高校,大学ともに練習は自由にやらせてもらっていたので,自分にあっていると思います。また,強い先輩も多数在籍しており,いい環境であると思います。

Q--あなたにとって陸上とは?

(池淵選手)
 不調などで大変な時期があったにもかかわらず頑張っている尾方選手の姿を見て,勇気をもらいました。私にとって陸上とは,勇気を与えてくれるものだと思います。

(清谷選手)
 中学生のときから始めて身近にあるものですし,これで大学にも行きました。また,実業団にも入りました。今後も社会人として必要なことを教えてくれるものとして,陸上が大きく関ってくるかと思います。

Q--これからの目標をお願いします。

(池淵選手)
 駅伝が好きなので,ニューイヤー駅伝のメンバーに選ばれるよう頑張りたいです。

(清谷選手)
 まずは,陸上競技部の戦力となりたい。そして,ニューイヤー駅伝や様々な大会で結果を出すことが実業団選手として求められることなので,結果を出せる選手になりたいと思います。

Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

(池淵選手)
 私は身長も高くないし,スラッとした体格でもありません。小さいながらも頑張るパワフルな走りを見てください。

(清谷選手)
 仕事で大変なこともたくさんあると思いますが,私の走りを見ていただき,元気になってもらえればと思います。日々頑張りますので,よろしくお願いします。

第59回 兵庫リレーカーニバル大会 1,500mの部で優勝した田子 康宏選手へインタビュー

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月 9日

 今回は,4月24日開催の「第59回 兵庫リレーカーニバル大会」の1,500mの部で優勝した,田子 康宏(たご やすひろ)選手にインタビューしました。

Q--日本選手権に次ぐ大会である兵庫リレーカーニバル大会 1,500mの部での優勝おめでとうございます。今のお気持ちはどうですか?

今までは2位,3位ということが多かったので,久しぶりにトップでゴールラインを割れ,新鮮な気持ちでうれしいです。記録的には自己ベストより2~3秒くらい遅いのですが,4月にしては悪くないと思います。

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               2.JPG                      

Q--走っている時,どのようなことを考えていましたか? 

自分にとって,今期1,500mの初戦でした。しかし周りの選手は2戦くらい終えての兵庫リレーカーニバル大会だったので,ある程度のペースで進むだろうと思っていました。まだ試合慣れしていない自分は,周りのペースに合わせる感じで走りました。今回の大会にも外国人選手が出場していて,その外国人選手が得意なペースだったのですが,うまくペースに乗れて,勝つことができました。
 今期初戦ということもあり不安もありましたが,いつもより体が軽い感じでした。調整がうまくいったと思います。

Q--走ることの魅力について教えてください。

陸上競技は,練習をサボった分だけ自分に返ってくるし,やればやった分だけ自分に返ってくる競技です。魅力はやればやるだけ成果がついてくるというところですね。 

 

 今,部内では,2年目の選手など若手が一生懸命練習しています。そういうのも刺激になっていると思います。今年の冬は練習量を増やしており,これが優勝という結果につながったものと思います。

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Q--今後の目標を聞かせてください。

 6月10日から開催される「日本陸上競技選手権」が国内最高の大会ですが,そこで表彰台に登ることができたら,7月に神戸で行われる「アジア陸上競技選手権」への出場権が得られます。そこで優勝したら,世界陸上に出場できる可能性があります。あるいは,世界陸上の参加標準記録を突破して,日本選手権で優勝することで世界陸上出場が決まります。
 参加標準記録(B)は3分38秒00,自己ベストは3分40秒36です。いつもこの標準記録にちょっと届かないというのが続いているのですが,5月28日の「ゴールデンゲームズinのべおか」で標準記録を切れたらと思っています。
 今回,この参加標準記録が上がりました。より厳しくはなったのですが,クリアしてしまえば前の標準記録よりも一歩先にいけることになるので,前向きに考えています。
 目標は「延岡での大会で標準記録を切って,日本選手権から世界陸上を狙う!」ですね。

   
   

Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも陸上競技部への応援,職場でのご理解ありがとうございます。これからもずっと試合後にはいい報告ができるようがんばりたいと思いますので,応援よろしくお願いします。

 

ラストランを迎えた梅木選手へインタビュー

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年1月31日

今回は,昨年12月19日の防府読売マラソンでラストランを終えた梅木蔵雄選手に,13年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

 

 

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 Q 13年間,お疲れ様でした。今のお気持ちは。

13年間で,マラソン19回,ニューイヤー駅伝10回,そのほか多くの大会で走りました。自分でも本当に,長い間よく走りきったなと思います。

マラソンはすぐ走ることが難しく,ある程度練習を積んでトラックで結果を出してからとなります。私はマラソンを始めてから年に2本ペースで走り,色々な大会にも出場させていただいたので,そういった面ではいい経験をさせていただいたと思います。また,自分の体も丈夫だったのかなと思います。

ニューイヤー駅伝に関しては10回も走ったというのはチームでも油谷選手と私くらいで,10回走るということは,10年以上,競技生活を続けないといけません。中国電力は常に優勝を狙うチームなので,その中で10回メンバーに入ることができたのは,自分でも頑張ったと思います。 

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ラストラン・防府読売マラソン

Q これまでの選手生活の中で,陸上選手をしていて良かったことは何ですか。

本当にたくさんの方に会えたのが良かったと思います。これまで国内や海外の様々な大会・合宿に参加させていただき,たくさんの方に出会えました。この出会いは自分の財産になりました。

 また,入社後数年してランナーズスクールが始まり,小学生に走り方を教える機会ができましたが,参加してくれた小学生が大会の応援に来てくれたり,最初の頃に参加してくれた小学生が,陸上に興味を持って高校で陸上競技をしてくれたりしているところを見たときには,陸上選手をしていて良かったと感じました。

 Q ランナーズスクールで参加者に伝えたかったことは何ですか。

子供たちにとって,走ることはどうしても苦しいことだというイメージがあると思います。楽しいと思ってもらえるよう,気持ちを変えてもらうことが大変でした。色々と触れ合うことで,最初は「走ることは好き?」と聞いたら「あまり好きじゃない」という子が多かったのが,後半になるにつれて「楽しい」と言ったり笑顔が見えたりしたので,一緒に走って良かったなと思いました。

Q 梅木選手にとって,走ることの魅力は何ですか。

「これだけ頑張れば,これだけ結果になる」という,努力に応じて結果がついてくるところだと思います。練習をしっかり頑張れば,いい成績がついてきます。そうして,自分で達成感が得られるのが魅力だと思います。努力することは陸上に限らず,何にでもつながることだと思います。 

 Q 最も印象に残っている,思い出の大会は?

2004年のニューイヤー駅伝,初優勝のときですね。自分がゴールテープを切らせていただいたので大変印象に残っています。ニューイヤー駅伝の初優勝は当社チームとして,大げさかもしれませんが歴史に刻まれるくらい大きなことだったと思うので,そこでアンカーを走りゴールテープを切らせていただいたことは強く印象に残っています。

 

110131_梅木選手インタヒ゛ュー3(練習.JPG

 練習中のひとコマ(左は白濱選手)

  Q たすきを受け取ったときの気持ちを覚えていますか。

 自分が最後なのでここで抜かれてはだめだという気持ちと,優勝しかないという気持ち。不安と,何とかして優勝しようという気持ちでしたね。

 

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Q 走っている最中は,どのような感じでしたか。頭が真っ白になりましたか。

そんなことはないです。後ろを振り返ることなく前を見て走るだけだと思っていたので。

ただ,ゴールテープを切った瞬間は真っ白でした。最初に,油谷選手か五十嵐選手だったと思うんですが,誰かが真っ先に駆け寄ってきてみんながもみくちゃになって,何がなんだかさっぱり分かりませんでした。

 Q これからの陸上競技部に対しては,何を思いますか。

 当社チームはこれまで22年の活動を行ってきましたが,急に強くなったわけではないと思います。長い間,先輩方が築き上げてきたもの,積み重ねてきた練習を,ようやく2004年にニューイヤー駅伝優勝に結びつけました。そういった流れをこれからも継続していって,優勝するという強い気持ちを持ってこれからもチャレンジしてほしいと思います。 

 

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Q ESSC会員や職場のみなさんへ一言お願いします。

職場のみなさんには,大会に向けて声をかけていただいたり,体調を気遣っていただいたり,とても練習しやすい環境を作っていただいたと思います。

応援団のみなさんも,ニューイヤー駅伝の際は元旦の忙しいときに大晦日から出てきていただいて,本当にありがたいと思います。みなさんに応援していただいて,本当に感謝しています。どうもありがとうございました。

走ることはやはり好きなので,これからは中国電力陸上競技部のいちファンとして,市民ランナーとして楽しく走っていきたいと思います。また,陸上競技が普及するためにお手伝いできることがあれば,協力していきたいと思っています。

 

 

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