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第24回 インタビュー(刀祢健太郎選手,山崎亮平選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年4月25日

 今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した,刀祢健太郎(とね けんたろう)選手と,山崎 亮平(やまさき りょうへい)選手にインタビューしました。

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(刀祢選手)
 小学5年生の頃から陸上を始めました。当時は短距離も走っていました。小学6年生のとき織田幹雄記念国際陸上に出場したのですが,そのときゲストで来られていた高橋尚子選手の話しを聞いて,長距離にあこがれ,長距離を始めました。

(山崎選手)
 小中学生の頃は,サッカーをしていました。中学3年の夏,駅伝出場に誘われ,長距離の練習を始め,そのときの先生に陸上をやってみないかと薦められたことをきっかけに,高校から陸上を始めました。

山崎選手①.JPG
山崎選手
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刀祢選手

(刀祢選手)
 高校3年生のときに出場した,秋田国体5,000m。日本人2位で総合4位の成績を残せたことが,自分にとっての転機であったと思います。大学では箱根駅伝に4年連続出場することができました。その中でも,1年のとき,当社陸上競技部で大学の先輩でもある藤原選手にたすきを渡すことができたことや,4年のとき,チームに大きく貢献し,一番仲が良かった同期の仲間にたすきを渡すことができたことがうれしく思い出に残っています。

(山崎選手)
 高校3年生のときに出場した,中国高校陸上5,000mで優勝したことです。また大学2年のときの東京六大学陸上1,500mでかなりいいタイムを出せたことが印象に残っています。

 

 

Q--数ある実業団チームのうち,中国電力に決めた理由を教えてください。

(刀祢選手)
 中国電力陸上競技部が山口駅伝で活躍している姿を見ていましたし,将来的にはマラソンでオリンピックに出場したいという思いから,マラソンオリンピック選手を輩出している中国電力で自分の力を伸ばしたいと決意しました。

(山崎選手)
 高校の先輩でもあり尊敬している,岡本選手,田子選手,森本選手と一緒に走りたいという思いを持っていました。また,先輩達のように活躍したいという思いから,中国電力に決めました。 

Q--中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(刀祢選手)
 セット練習,練習で走る一回あたりの距離,それから合宿と,どれも学生の頃より多いと感じています。強い先輩方と一緒にいることで,密度の濃い練習ができています。

(山崎選手)
 大学の頃と比べて,質・量ともにかなり増えています。そのため,自己管理をしっかり行っていかなければいけないと感じています。練習内容についても自分で考え,調整しながら行うようになりました。

Q--あなたにとって陸上とは?

(刀祢選手)
 小学生の頃から陸上をしていますので,生活の一部であり,切り離せない存在になっています。いつかは引退するときがやって来ますが,走ることが好きなので,走ることはやめないと思います。

(山崎選手)
 まじめに練習しなければ,結果が出ない。記録を縮められないと,満足できない。苦しい練習を積んで,試合で目標を達成したときには,大きな達成感があります。この達成感を得るため陸上競技を続けています。

Q--これからの目標をお願いします。

(刀祢選手)
 早く新しい環境に慣れ,先輩たちとより濃い練習をしていけるようになりたいというのが,身近な目標です。そして,ニューイヤー駅伝に出場し,山崎選手にたすきをつなぎたいですね。それと同時に自分の夢であるオリンピック出場に向けて頑張っていきたいと思います。

(山崎選手)
 「ニューイヤー駅伝を走る」ということを目標に頑張っていきたいと思います。先輩たちの練習に喰らいついていき,結果を残せる選手になれるよう頑張ります。

Q--
ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

(刀祢選手)
 走らせていただけることに感謝しています。結果を残すことで,貢献していきたいです。

(山崎選手)
 応援していただけることに感謝し,結果でお返しできるよう頑張ります。

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刀祢選手
山崎選手②.JPG
山崎選手

第23回インタビュー(尾方剛選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年3月16日

今回は,1月31日で陸上競技部を引退した,尾方剛選手に16年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

Q-- 16年間を振り返って,今の気持ちをお聞かせください。
 良くここまでやって来れたな,という気持ちです。
 入社した頃の中国電力陸上競技部はこれから強くなろうというチームでした。しかし,即戦力として期待されていたにもかかわらず,故障して入社したため,その期待にも応えられず,チームの皆にも迷惑をかけ,精神的にもつらい日々を過ごしました。そのような状態でしたから,ここまで続けられるとは思ってもいませんでした。

Q-- 一番印象に残っている大会は?
 自分の思うような結果ではなかったのですが,やはり北京オリンピックが最高の大会ですね。4年に一度しかない大会ですし,なかなか出場できる大会でもありません。また,すべてのスポーツ選手が集まってその頂点を極める大会なので,マスコミの対応も違いました。自分としては,世界選手権の延長だと思って臨んでいたのですが,やはりマスコミとか周りの人は「さもすごいことをやっている」かのような対応をされました。世界選手権でもすごいと思ってくれる人もいるのですが,オリンピックと聞くと,陸上に興味がない人でも「すごいね」と言ってくれる。他の大会とは違う盛り上がりを感じました。

 オリンピックを意識し始めたのは,アテネオリンピック(2004年)の選考会の頃からです。自分も行けると信じて打ち込みましたが,落選しました。その時から,4年間で実績を残しオリンピックで勝負するという気持ちで,アテネオリンピック以降は取り組んできました。
 駅伝で印象に残っている大会は,2004年のニューイヤー駅伝。中国電力が初優勝した年です。3区を任されましたが,当時3区は外国人区間で日本人にとっては不利な区間。でもここでしっかり走っておかないと,チームが優勝争いに加われないので,やりがいを感じて望みました。そして優勝を狙えるチームでしたので「自分の力どおりに走れば,あとは皆がなんとかしてくれる」,そう信じて走りました。本当に優勝することができてうれしかったです。

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尾方2.jpg Q-- 尾方選手はきれいなランニングフォームという印象があるのですが,フォームについて教えてください。

 世界で戦うために,どうしたら楽に走ることができるか,ということを考えていました。例えば,ケニア人選手はジョギングをしているかのように楽に走っているように見えます。やはりこういう感覚で走らないと,世界でメダルを狙うのは難しい。ケニア人選手と比べると日本人は素質も身体能力も劣るわけですから,それをどう克服していくか。こんなことを考えていました。そのためにも,楽に走る感覚が欲しかったのです。
 具体的には,いかにスムーズに足を前に出すか,いかに動作を簡単にするかということになります。これを意識しながら練習したり,自分がうまく使えていない筋肉などを使えるように体操したりしていました。大学の頃からお世話になっているトレーナーと相談しながら,フォームを作り上げていきました。ブレや無駄のないフォームが理想だと思います。「動く歩道」で進むかのような感覚です。足がスムーズに前に出る,流れるような走り,それが自然にできる。それに近づけるようなフォームを模索しながらやってきたつもりです。

Q-- 多くのマラソン大会に出場されていますが,大会前はどのような心境でしたか。
 本格的な練習は大会の3カ月前から始めますが,この3カ月は本当にきつかったです。多いときには月に1,380kmくらい走っていました。楽しみといえば食べることくらい。メンタルな面では,自分はスロースターターで,大会に向け少しずつテンションを高めていくという感じでした。もう少し早めに上がっていてもよかったのかもしれません。魂を燃やすようなテンションの上げ方ができればよかったのですが,これについては,うまくできたことも,できなかったこともありました。それでも2週間前くらいになると「やらなくてはいけない!」とストイックな心境にはなっていました。

 

 

Q-- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
 長い間,応援してくださった方々に感謝しています。皆さまの応援に後押しされ,最後まであきらめず全力で走りきることができました。ありがとうございました。

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第22回インタビュー(油谷繁選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2012年1月 5日

 今回は,昨年12月18日の防府読売マラソンでラストランを終えた油谷繁選手に,17年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

Q -- 引退レースを終えた今の気持ちをお聞かせください。
引退レースだったので,もっと元気な姿で走りたかったですね。足の痛みがひかなくて途中棄権という残念な結果になってしまいました。多くの方が引退レースであることを知っておられたようで,沿道からたくさんの温かい声援をいただきました。自分でもできればやめたくはなかったのですが,足の痛みも限界となり,このような結果となってしまいました。
このレースで選手としての第一線を退くこととなりましたが,次の日からはコーチとして新たな気持ちで進み始めたところです。

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Q -- 最も印象に残っている大会は?
 やはり,アテネオリンピックですね。一番大きな大会で入賞できたといううれしさと,メダルが取れなかったという残念さがありますね。
 初マラソンは自分にとっては,いまひとつな成績だったのですが,2回目(2001年3月 びわ湖毎日マラソン)で,7分台で走って世界陸上代表(2001年8月 エドモントン)に選ばれ,マラソンならば日本一にもなれるし,世界一も夢ではないと思うようになりました。
 その世界陸上で5位となったことで,この夢は現実的な目標に変わり,狙って臨んだオリンピックでした。

Q -- 陸上選手で良かったと思ったことは?
 中国電力に入社し,多くの優秀な選手たちと競い合うことで大きく成長することができました。そして,世界陸上,オリンピックで入賞,ニューイヤー駅伝では優勝もでき,全国を舞台に活躍できたことで,いろんな方との出会いがあり,またメディア等にも取り上げていただき,とても貴重な経験ができました。

Q -- 油谷選手にとって走ることの魅力は?
 陸上競技は,「誰よりも速く,誰よりも高く,誰よりも遠く」ということを目標としているだけなのですが,これを達成するためにはより多くの練習を必要とします。単純ですが,結果を出すという点では難しい競技であると思います。マラソンは特に練習しないと走れない競技で,本番の3ヶ月前から本格的に練習するのですが,それだけの練習はこの1日のためだけのものです。大変で苦しいことではありますが,結果が出るので達成感を得ることができます。
 私の場合,トラックレースで結果を出すのは厳しいと思っていたのですが,マラソンであれば日本だけでなく世界も狙えると感じ,マラソンで勝負したいと思うことができました。高校卒業後から基礎となる練習を積み,その土台があったからこそ,うまくマラソンにつながっていったのだと思います。
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Q -- コーチとしての今後の抱負をお聞かせください。
 中国電力は駅伝をやりながらマラソンでも強くなったチームなので,マラソンでも活躍できる選手を育成していきたいです。世界に出て行ける選手が出てきてほしいと思います。また,チーム力もより強化して,駅伝でも優勝したいですね。
 自分がやってきたことをそのまま教えても,必ずしも強くなるとは限らないと思います。選手によって個性やタイプがあるので,いかにその選手に合わせて指導できるかが大切だと思います。同じ練習量であれば同じ結果がでるというわけではないので,選手にあった練習ができるように指導し,結果を残せるようにしたいです。
 選手として17年間やってきたことや,世界陸上,オリンピックの経験もあるので,この経験をいい形で伝えることができたらと思います。練習に困ったときなど,うまく導いてあげることができればと思っています。

Q -- ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
 いつもたくさんの応援をいただきありがとうございました。これからはコーチとして皆さんの期待にお応えできるような結果を残したいと思います。しっかり結果を残すことで,一緒に盛り上がれたらと思います。
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第21回インタビュー(新井広憲選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月22日

今回は,「第50回中国実業団陸上」の5月7日開催5,000mの部で優勝,5月14日開催10,000mの部で日本人最高の2位に入賞した,新井広憲(あらい ひろのり)選手にインタビューしました。

Q--中国事業団陸上 5,000mの部での優勝,10,000mの部での日本人最高の2位入賞おめでとうございます。今の気持ちをお聞かせください。

 入社して10年目ですが,試合での優勝は一度もなかったので,素直にうれしいです。
 10年目で5,000m,10,000mともにこういった結果を出せたことを本当にうれしく思っています。

 Q--どんな気持ちで大会に臨まれましたか?

 
5,000mでは,直前の練習もあまりうまく行ってなかったのですが,中国実業団陸上というのは,中国電力陸上競技部としても狙っていく試合なので,少しでも上の順位で走りきりたいと思いながら,練習を重ねてきました。
 10,000mのときは,一週間前に5,000mをいい結果で走れ,調子が上向きになっていると感じていたので,前向きに挑戦することができました。

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              5月7日 (5,000m)

Q--走っている時,どのようなことを考えていましたか?

 5,000mでは,最初は思ったように体が動かなくて,序盤,中盤とかなりきつく,離れそうになりながらも,自分の力を出し切りたいという気持ちで走っていました。残り1,000mあたりで前を行く選手が,きつそうな素振りをしているように感じました。この時点では4番手くらいだったのですが,もしかしたら可能性があるのではないかと思い,頑張って追い上げてみたところ,残り600m付近でトップに追いつくことができました。ここで様子を見ようという思いもあったのですが,今回はこのまま勝負をかけました。勢いもついていたので,「いける時にいっておこう。ダメなら仕方ない。」という気持ちで走りました。

早めに勝負をかけてよかったです。

10,000mでは,5,000mくらいまで外国人選手のペースに合わせて走りました。しかしこのあたりからペースが落ちてきたので,思い切って前に出ました。9,000mで1人の選手に抜き返され,そのままゴール。このレースでは負けてしまいましたが,後半のきついときに前に出て走れたことに,今後につながる手ごたえを感じました。
 冬場からトレーニングを重ねてきていたので,最初は体が重かったのかもしれませんが,後半に延びてきたのは,体ができていたのだと思います。

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             5月14日 (10,000m)

Q--走ることの魅力について教えてください。

 
正直なところ,楽しいことはほとんどないのですが,つらい練習をしてきて,それを試合で結果として出せたときに,達成感を感じることができます。成果が出そうな練習ほど,きつくてやりたくない練習です。しかし,そういうことを試合に向けて計画し,過程として受け止めて実行し,その成果を試合という場で発揮し,結果が出たときうれしいですね。なんともいえない達成感を感じます。これはスポーツ全般に言えることかもしれませんが,ここに魅力を感じますね。

 駅伝では,チームメートで団結してひとつの結果を出し,喜びを分かち合うということに,マラソンとかトラックレースとは違う達成感や喜びを感じますね。

Q--今後の目標を聞かせてください。

 
トラック種目で結果を出すというのも大きな目標ではありますが,マラソンについては,入社してまだ2回しか走ったことがなく,マラソンで自己ベストを更新し,2時間10分を目標に頑張りたいです。まだあまりマラソンの経験もないのですが,この2時間10分を切ることで,また何か新しいものが見えてくるのではないかと思っています。まずはここを目指して頑張っていきたいです。

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Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

 いつも応援ありがとうございます。
 試合会場で声をかけていただいたり,沿道からの声援を受けるたびに,多くの方に支えられて競技をしていることを実感します。
 ESSC会員,職場の皆さまに盛り上がっていただけるような結果を残せるよう,頑張って行きたいと思いますので,応援よろしくお願いします。 

第20回インタビュー(池淵智紀選手,清谷匠選手)

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月22日

 今回は,新たに中国電力陸上競技部に入部した,池淵智紀(いけぶち とものり)選手と,清谷 匠(きよたに たくみ)選手にインタビューしました。

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(池淵選手)
小学校では,市内の陸上大会の予選会で最後の10m位のところで抜かれてしまい,本選に出場できず悔しかったことを覚えています。中学校では,テニス部か陸上部かと入部を悩んだのですが,その予選会の悔しさから陸上競技に進みました。中学校では三種B(400m,走り幅跳び,砲丸投げ)という競技をやっていたのですが,それからリレー,1,500mにチャレンジしたところ,思っていた以上の成績をあげることができました。また,周りに長距離選手もいなかったことから,長距離もはじめました。

(清谷選手)
 小学校は野球をしていました。中学校で野球部に入りつつ,途中から陸上部にも席をおきました。3年生のとき,県駅伝の予選会に出場したのですが,負けてしまいとても悔しい思いをしました。陸上については,それまではあまり本気にやっていなかったのですが,この悔しさから高校に入って本格的にはじめました。

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                      左:池淵選手 右:清谷選手

Q--陸上競技との出会いを教えてください。

(池淵選手)
 小学校では,市内の陸上大会の予選会で最後の10m位のところで抜かれてしまい,本選に出場できず悔しかったことを覚えています。中学校では,テニス部か陸上部かと入部を悩んだのですが,その予選会の悔しさから陸上競技に進みました。中学校では三種B(400m,走り幅跳び,砲丸投げ)という競技をやっていたのですが,それからリレー,1,500mにチャレンジしたところ,思っていた以上の成績をあげることができました。また,周りに長距離選手もいなかったことから,長距離もはじめました。

(清谷選手)
 小学校は野球をしていました。中学校で野球部に入りつつ,途中から陸上部にも席をおきました。3年生のとき,県駅伝の予選会に出場したのですが,負けてしまいとても悔しい思いをしました。陸上については,それまではあまり本気にやっていなかったのですが,この悔しさから高校に入って本格的にはじめました。

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                    清谷選手

Q--これまで印象に残っている大会を教えてください。

(池淵選手)
 いくつかありますが,中学校のころは,全国中学校陸上競技選手権大会に0.01秒差で出場できなかったことです。高校では,都大路の全国高校駅伝に3回も出させてもらったこと。大学では,箱根駅伝の本戦に出場できたことです。中でも,箱根駅伝を走れたことが一番印象に残っています。

(清谷選手)
 全国高校駅伝で優勝したことです。区間賞を取れたことも大きかったです。箱根駅伝については,予選会で2回負けているのですが,それがとても悔しかったです。特に4年生のときはキャプテンをしていて,チーム状況も良く,絶対に出ることができると思っていたのですが,負けてしまったという悔しさが思い出として残っています。

Q--数ある実業団チームのうち,中国電力に決めた理由を教えてください。

(池淵選手)
 レベルの差を感じてとても悩んだのですが,「やってみないか?」と声をかけてもらいました。高校時代から知っている先輩も多く,その先輩たちが実業団で伸びている姿を見て,こんな私でもより速くなれるのではないかということに魅力を感じ,決意しました。

(清谷選手)
 地元ですし,高校時代から中国電力の選手たちと合宿し,監督と話をする機会があったことから,当時から中国電力というのは頭の中にありました。大学では結果を残せていないので,実業団に進むことを迷っていました。一般就職も考えていたところ声をかけてもらい,以前から志望していたことから迷わず決めました。

Q--入社して1ヶ月。中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(池淵選手)
 大学のころは,1週間のスケジュールが決まっていて,毎日決まった練習を繰り返していました。ところが,中国電力陸上競技部は,練習メニューが決まっていない。自己管理を含めて,自分で考えて練習するというスタイルに,まだ戸惑いがありますが,先輩を見習いながら頑張ろうと思っています。

(清谷選手)
 合宿が多いという印象があります。私も練習メニューが決まっているものだと思っていたのですが,合宿と合宿の間を自分で考えて練習するという流れには驚きました。ただ,私の場合,高校,大学ともに練習は自由にやらせてもらっていたので,自分にあっていると思います。また,強い先輩も多数在籍しており,いい環境であると思います。

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                    池淵選手

Q--入社して1ヶ月。中国電力陸上競技部での練習の感想を聞かせてください。

(池淵選手)
 大学のころは,1週間のスケジュールが決まっていて,毎日決まった練習を繰り返していました。ところが,中国電力陸上競技部は,練習メニューが決まっていない。自己管理を含めて,自分で考えて練習するというスタイルに,まだ戸惑いがありますが,先輩を見習いながら頑張ろうと思っています。

(清谷選手)
 合宿が多いという印象があります。私も練習メニューが決まっているものだと思っていたのですが,合宿と合宿の間を自分で考えて練習するという流れには驚きました。ただ,私の場合,高校,大学ともに練習は自由にやらせてもらっていたので,自分にあっていると思います。また,強い先輩も多数在籍しており,いい環境であると思います。

Q--あなたにとって陸上とは?

(池淵選手)
 不調などで大変な時期があったにもかかわらず頑張っている尾方選手の姿を見て,勇気をもらいました。私にとって陸上とは,勇気を与えてくれるものだと思います。

(清谷選手)
 中学生のときから始めて身近にあるものですし,これで大学にも行きました。また,実業団にも入りました。今後も社会人として必要なことを教えてくれるものとして,陸上が大きく関ってくるかと思います。

Q--これからの目標をお願いします。

(池淵選手)
 駅伝が好きなので,ニューイヤー駅伝のメンバーに選ばれるよう頑張りたいです。

(清谷選手)
 まずは,陸上競技部の戦力となりたい。そして,ニューイヤー駅伝や様々な大会で結果を出すことが実業団選手として求められることなので,結果を出せる選手になりたいと思います。

Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。

(池淵選手)
 私は身長も高くないし,スラッとした体格でもありません。小さいながらも頑張るパワフルな走りを見てください。

(清谷選手)
 仕事で大変なこともたくさんあると思いますが,私の走りを見ていただき,元気になってもらえればと思います。日々頑張りますので,よろしくお願いします。

第59回 兵庫リレーカーニバル大会 1,500mの部で優勝した田子 康宏選手へインタビュー

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年5月 9日

 今回は,4月24日開催の「第59回 兵庫リレーカーニバル大会」の1,500mの部で優勝した,田子 康宏(たご やすひろ)選手にインタビューしました。

Q--日本選手権に次ぐ大会である兵庫リレーカーニバル大会 1,500mの部での優勝おめでとうございます。今のお気持ちはどうですか?

今までは2位,3位ということが多かったので,久しぶりにトップでゴールラインを割れ,新鮮な気持ちでうれしいです。記録的には自己ベストより2~3秒くらい遅いのですが,4月にしては悪くないと思います。

    田子康宏選手1.jpg                                
               2.JPG                      

Q--走っている時,どのようなことを考えていましたか? 

自分にとって,今期1,500mの初戦でした。しかし周りの選手は2戦くらい終えての兵庫リレーカーニバル大会だったので,ある程度のペースで進むだろうと思っていました。まだ試合慣れしていない自分は,周りのペースに合わせる感じで走りました。今回の大会にも外国人選手が出場していて,その外国人選手が得意なペースだったのですが,うまくペースに乗れて,勝つことができました。
 今期初戦ということもあり不安もありましたが,いつもより体が軽い感じでした。調整がうまくいったと思います。

Q--走ることの魅力について教えてください。

陸上競技は,練習をサボった分だけ自分に返ってくるし,やればやった分だけ自分に返ってくる競技です。魅力はやればやるだけ成果がついてくるというところですね。 

 

 今,部内では,2年目の選手など若手が一生懸命練習しています。そういうのも刺激になっていると思います。今年の冬は練習量を増やしており,これが優勝という結果につながったものと思います。

          3.JPG                 

Q--今後の目標を聞かせてください。

 6月10日から開催される「日本陸上競技選手権」が国内最高の大会ですが,そこで表彰台に登ることができたら,7月に神戸で行われる「アジア陸上競技選手権」への出場権が得られます。そこで優勝したら,世界陸上に出場できる可能性があります。あるいは,世界陸上の参加標準記録を突破して,日本選手権で優勝することで世界陸上出場が決まります。
 参加標準記録(B)は3分38秒00,自己ベストは3分40秒36です。いつもこの標準記録にちょっと届かないというのが続いているのですが,5月28日の「ゴールデンゲームズinのべおか」で標準記録を切れたらと思っています。
 今回,この参加標準記録が上がりました。より厳しくはなったのですが,クリアしてしまえば前の標準記録よりも一歩先にいけることになるので,前向きに考えています。
 目標は「延岡での大会で標準記録を切って,日本選手権から世界陸上を狙う!」ですね。

   
   

Q--ESSC会員・職場の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも陸上競技部への応援,職場でのご理解ありがとうございます。これからもずっと試合後にはいい報告ができるようがんばりたいと思いますので,応援よろしくお願いします。

 

ラストランを迎えた梅木選手へインタビュー

  • [ 選手日記 ]
  • 2011年1月31日

今回は,昨年12月19日の防府読売マラソンでラストランを終えた梅木蔵雄選手に,13年間の選手生活を振り返って,インタビューに答えてもらいました。

 

 

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 Q 13年間,お疲れ様でした。今のお気持ちは。

13年間で,マラソン19回,ニューイヤー駅伝10回,そのほか多くの大会で走りました。自分でも本当に,長い間よく走りきったなと思います。

マラソンはすぐ走ることが難しく,ある程度練習を積んでトラックで結果を出してからとなります。私はマラソンを始めてから年に2本ペースで走り,色々な大会にも出場させていただいたので,そういった面ではいい経験をさせていただいたと思います。また,自分の体も丈夫だったのかなと思います。

ニューイヤー駅伝に関しては10回も走ったというのはチームでも油谷選手と私くらいで,10回走るということは,10年以上,競技生活を続けないといけません。中国電力は常に優勝を狙うチームなので,その中で10回メンバーに入ることができたのは,自分でも頑張ったと思います。 

110131_梅木選手インタヒ゛ュー2(防府マラソン.jpg

ラストラン・防府読売マラソン

Q これまでの選手生活の中で,陸上選手をしていて良かったことは何ですか。

本当にたくさんの方に会えたのが良かったと思います。これまで国内や海外の様々な大会・合宿に参加させていただき,たくさんの方に出会えました。この出会いは自分の財産になりました。

 また,入社後数年してランナーズスクールが始まり,小学生に走り方を教える機会ができましたが,参加してくれた小学生が大会の応援に来てくれたり,最初の頃に参加してくれた小学生が,陸上に興味を持って高校で陸上競技をしてくれたりしているところを見たときには,陸上選手をしていて良かったと感じました。

 Q ランナーズスクールで参加者に伝えたかったことは何ですか。

子供たちにとって,走ることはどうしても苦しいことだというイメージがあると思います。楽しいと思ってもらえるよう,気持ちを変えてもらうことが大変でした。色々と触れ合うことで,最初は「走ることは好き?」と聞いたら「あまり好きじゃない」という子が多かったのが,後半になるにつれて「楽しい」と言ったり笑顔が見えたりしたので,一緒に走って良かったなと思いました。

Q 梅木選手にとって,走ることの魅力は何ですか。

「これだけ頑張れば,これだけ結果になる」という,努力に応じて結果がついてくるところだと思います。練習をしっかり頑張れば,いい成績がついてきます。そうして,自分で達成感が得られるのが魅力だと思います。努力することは陸上に限らず,何にでもつながることだと思います。 

 Q 最も印象に残っている,思い出の大会は?

2004年のニューイヤー駅伝,初優勝のときですね。自分がゴールテープを切らせていただいたので大変印象に残っています。ニューイヤー駅伝の初優勝は当社チームとして,大げさかもしれませんが歴史に刻まれるくらい大きなことだったと思うので,そこでアンカーを走りゴールテープを切らせていただいたことは強く印象に残っています。

 

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 練習中のひとコマ(左は白濱選手)

  Q たすきを受け取ったときの気持ちを覚えていますか。

 自分が最後なのでここで抜かれてはだめだという気持ちと,優勝しかないという気持ち。不安と,何とかして優勝しようという気持ちでしたね。

 

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Q 走っている最中は,どのような感じでしたか。頭が真っ白になりましたか。

そんなことはないです。後ろを振り返ることなく前を見て走るだけだと思っていたので。

ただ,ゴールテープを切った瞬間は真っ白でした。最初に,油谷選手か五十嵐選手だったと思うんですが,誰かが真っ先に駆け寄ってきてみんながもみくちゃになって,何がなんだかさっぱり分かりませんでした。

 Q これからの陸上競技部に対しては,何を思いますか。

 当社チームはこれまで22年の活動を行ってきましたが,急に強くなったわけではないと思います。長い間,先輩方が築き上げてきたもの,積み重ねてきた練習を,ようやく2004年にニューイヤー駅伝優勝に結びつけました。そういった流れをこれからも継続していって,優勝するという強い気持ちを持ってこれからもチャレンジしてほしいと思います。 

 

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Q ESSC会員や職場のみなさんへ一言お願いします。

職場のみなさんには,大会に向けて声をかけていただいたり,体調を気遣っていただいたり,とても練習しやすい環境を作っていただいたと思います。

応援団のみなさんも,ニューイヤー駅伝の際は元旦の忙しいときに大晦日から出てきていただいて,本当にありがたいと思います。みなさんに応援していただいて,本当に感謝しています。どうもありがとうございました。

走ることはやはり好きなので,これからは中国電力陸上競技部のいちファンとして,市民ランナーとして楽しく走っていきたいと思います。また,陸上競技が普及するためにお手伝いできることがあれば,協力していきたいと思っています。